■夢とロマンと希望を胸に−9■
●ボウリング場をパチンコ店に (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏 静岡市の「静清フレンドボウル」の失敗で山積した借金は、パチンコ店の売り上げで返す敷かないとぼくは考えていた。どう見てもパチンコ店の利益率のほうが高かった。ところが、その当時はボウリング事業を積極的に進めるあまり、パチンコ店は峰山町と豊岡市と柏原町の3店舗しかなかった。 それで急遽、閑古鳥が鳴いている静岡市の「静清フレンドボウル」の敷地に「静岡カジノ店」を開店させる。これがうちの郊外型パチンコ店舗の第一号店になった。がらんとしていたボウリング場の駐車場をもっと有効利用すべきだと、マルハン郊外型店舗のチェ−ン展開のさきがけになった。 今から考えると信じられないような話だが、お客さまはみんな土の上に立ってパチンコ台と向き合っている時代だった。「静岡カジノ店」のオ−プン当日、ぼくは、「どうか、お客さまが来て下さいますように!」と祈るような気持ちで見守っていた。 ところが、会社の生死を賭けた大事なオ−プン当日にとんでもない事件が起きた。未だに忘れもしない。1973年(昭和48年)の8月6日だった。「社長! 豊岡カジノ店が火事だそうです!」と、誰かが叫んだ。「なに−っ!」ぼくは真っ青になった。 死ぬか、生きるかの瀬戸際のときに、頼みの綱の「豊岡カジノ店」が火災になるとは夢にも思っていなかった。人生、何が起きるかわからない。「豊岡カジノ店」の隣にあった喫茶店が、ガムシロップをコンロで炊いていた。その火を消すのを忘れ、「豊岡カジノ店」に燃え移ったというのだ。「復旧するのに、どのくらい時間がかかるんだ!」ぼくは、電話口で怒鳴っていた。 すると豊岡の店長が、「1ヵ月半ぐらいはかかるそうです」と、のん気に答えやがった。「このバカ野郎! 1週間でやれ−!」「できません」と店長が言う。「会社が死にそうなのに、何で1ヵ月半もかかるんだ!」ぼくは怒り狂っていた。 資金繰りの修羅場も、返済地獄も知らない田舎の店長を怒鳴りちらしてもはじまらない。ぼくはすぐに兵庫県豊岡市に飛んでいって、陣頭指揮をとることにした。 そして豊岡の小さい建設会社に連絡をした。「とにかく安い建物でいい。支払いは、手形の10回分割にしてほしい!」と頼み込んだ。 パチンコ店舗の壁は、鉄骨にブロックを積むという簡素なものにして、徹底的にロ−コストに仕上げた。突貫工事で、「豊岡カジノ店」を約1週間で復旧させた。死に物狂いでやれば、何でもできるものなのだ。「災い転じて福となす」ということわざがあるように、そのころのぼくは借金を抱えているから店舗にお金をかけられない。「豊岡カジノ店」の火災をきっかけに、ロ−コストの店舗作りをはじめていた。 当時の予算でいうと、パチンコ店舗の建築費が坪あたり40万円だったはずだ。ぼくは、それを坪あたり20万円まで下げた。店舗の床はコンクリ−トでなくていい。床が土でも、玉さえ出せばお客さまは必ずやってくる。ぼくには、そういう信念があった。こうして他店が絶対やらない徹底的なロ−コスト店舗を作って、借金返済の土台を築いていった。 ところが、一難去ってまた一難。災いというものは、続くときは続くものだ。(つづく) |