■夢とロマンと希望を胸に−10■
●国税局の査察を受ける (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏 1974年(昭和49年)のある日、峰山町のレストラン「ル−チェ」3階に、突然、鋭い目をした堅物そうな背広姿の集団が30人ぐらいぞろぞろと上がってきた。いきなり何事だろうと思って、ぼくはこうたずねた。「どなたさまですか?」「大阪国税局の特別資料調査官です」と一人の男が答えた。 国税局がなんでうちに来るのか? あっけにとられていると、「金庫を全部あけなさい!」税務官が命令口調で言うではないか。西原産業は、税金の申告で何ひとつ悪いことをした覚えがない。ぼくは「努力・信用・奉仕」を社訓に、峰山で信頼を築いてきただけに、うちは税務に関して優良企業だとさえ思ってきた。 それでもお上のやることだから、仕方なく税務官の指示にしたがった。大阪国税局に入られてからまる1ヵ月間、税務官がぼくに張りついて税務調査をし続けた。その間、峰山町から一歩も出られなかった。だいたいボウリング事業の失敗で、大きな借金で首がまわらないのに脱税するようなお金があるとでも思っているのだろうか? 隠し財産なんてあるわけがなかった。 韓国人の社会には、契(ケ−)とよぶ日本でいうと頼母子講のような組織がある。お互いに掛け金を出し合って、くじや入札で順番にお金を貸し借りする融資の互助会みたいなものだ。契は在日社会にもあって、それで同胞が事業を助け合っている。そんな仲間うちの契の個人のお金を引っ張ってきてまで月3分の利息でやりくりしているのに、税務官がいくら書類をひっくり返しても裏金がでるはずなかった。 なぜ国税局がこんなにもしつこく調査するのだろうかといぶかっていたとき、ぼくはふと退社したある社員の顔を思い出した。直感的に、「あいつが国税局に密告したのだろう!」と思った。その元社員はアルコ−ル中毒で、字を書くと手が震えた。まるでミミズみたいな字で、書類を作成しても誰にも読めなかった。ぼくは、使いものにならないからクビにしたのだ。 クビにされたことを恨んで、その元社員が国税局へ密告したとしか考えられなかった。なぜなら、その元社員がいたころ、岐阜県のある土地を1坪300円で買わないかという計画がもちこまれていて、元社員は、不動産売買の電話のやりとりを聞いて、ぼくに金がある思い込んでいるようだったからだ。「おかしいな」「金があるはずなのに」と税務官がつぶやき合っている。 ぼくはぼくで税務調査のために仕事にならず、困っていた。仕方がないので、宮津市出身で大物政治家の前尾茂三郎さんに頼みに行った。「前尾さんの口から、ぼくの地元での評判を大阪国税局のトップに伝えていただけないですか?」すぐに前尾さんは、親しい税理士をうちに派遣した。西原産業の帳簿を徹底的に調べていった。その結果、税理士は、「西原さんの地元での評判は悪くないし、調べても個人資産は出てこない」という報告を前尾さんにした。 そのあと前尾さんが、ようやく大阪国税局の幹部に電話を入れてくれた。話の内容はあとから人づてに聞いた。前尾さんは、こんなふうに話したらしい。「峰山町の西原産業の一件だが、隠している金もないようだ。この際、西原君は生かしておいてあとで税金を取ったほうが国のためになるんじゃないか? 田舎の小さな企業をつぶしても、得策にはならないだろう」 いまマルハンは、約150億円の税金を国に納めている。振り返ると、そのときの前尾さんの発言は正しかった。このときの税務調査で、最終的にただ一点だけうちに不明朗なことが発覚した。これは脱税ではなくて、ひょんなことから出した謝礼金の扱いについてだった。 1970年(昭和45年)に、兵庫県柏原町に「柏原フレンドボウル」を建設した。このときボウリング場の敷地面積が足りなくて、ある地主に「敷地を拡張したいからもう少し土地を提供してほしい」と頼みにいったことがあった。そのとき、地主が「裏金で謝礼がほしい」と要求してきたので、ぼくは謝礼のつもりで何百万かを手渡していた。それが帳簿上に記載されていなかったのだ。 このときの税務調査で、ただ一つの汚点だった。ぼくは非常にいい勉強をさせてもらったと思った。これをきっかけに、ぼくの税金に対する認識がいっそう厳しくなっていった。そのときの経験が、京都韓国人商工会の会長に就任したときに、役立っている。京都納税経友会の設立や、在日韓国人事業者の会員のみなさんの無料税務相談などの提案につながっていった。(つづく) |