夢とロマンと希望を胸に−11
地代・利息・返済は一日たりとも遅れるな。それが信用だ
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●郊外型パチンコ店を次々に出店 (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏

静岡市の「静清フレンドボウル」の敷地に作った「静岡カジノ店」も「柏原フレンドボウル」の敷地に作った「柏原カジノ店」も、集客はよかった。

そのころから、ぼくは店長にこんな訓示をたれていた。「店長というものは、野球の監督のごとく、常に戦略を練らなければならない。今日の天候を見て、雨ならばこう準備する。晴れならこう展開する。バ−のマダムのごとく、お客様に気を使わなければならない」

ぼくはお客さまの一人ひとりを大切にしろと、口が酸っぱくなるくらい言っていた。そんなころだろうか。1975年(昭和50年)に入って、こんな噂を耳にした。「名古屋に、パチンコ店が田んぼのまんなかに建っているのに、流行っている店がある」エッ! と思った。はじめて聞く話しだった。田んぼのまんなかに、パチンコ店がある?

すぐに、ある社員に車を飛ばして見に行ってもらった。すると、「社長! 確かにお客さまがいっぱい入っています!」という報告が返ってきた。

そのとき、「これだ!」と、ぼくは膝を打った。静岡市の「静清フレンドボウル」を休業にして、豊岡市のボウリング場を売却したお金で、姫路と神戸に郊外型専用のパチンコ店舗を作ろうと決めた。

このころから、ぼくはパチンコ店舗に「マルハン」とつけだした。マルハンの名前の由来は、また後で詳しく述べる。第一号店は、峰山町の南にある与謝郡野田川町に作った「マルハン野田川店」だった。そこは借地でお客さまがそれほど入らなかったので、1986年(昭和61年)2月に借地権を手放して建物を売った。やがてそこは空き地になって、幻のマルハン第一号店になった。

さて姫路店と神戸店の話しに戻そう。1975年(昭和50年)12月、姫路市と神戸市の幹線道路に面した車の出入れがしやすい立地の土地に、2店舗をオ−プンさせた。これが予想以上に当たった。

これまでパチンコ店舗は、土地の値段の高い駅前や商店街にあった。それだけコストがかかった。その当時、パチンコ業界全体に、郊外の安い土地に店舗をかまえるという発想がなかった。「マルハン姫路店」、「マルハン神戸店」は、本格的な郊外型店舗のはしりになっていった。

まだまだ資金繰りの苦しいころで、店舗の開発にお金をかける余裕などなかった。「資金繰りに影響がでないようなロ−コストの店舗作りにしろ!」と、ぼくは峰山本社の藤原にはっぱをかけていた。

藤原は、峰山町の吹上工業に発注して、徹底してロ−コストの店舗作りにした。吹上工業は、もともと水道屋さんだが建築も手がけていた。ぼくと社長とは、じっこんの間柄だったから、苦しいときに安く請け負ってくれたのだ。

そのころ、まだ土地は安く買えた。新しい店舗を開発するときは、土地を買っていた。新しい店舗がオ−プンする。すると新店舗の土地と建物を担保に入れて、金融機関からお金を借りる。そのお金で、次の店舗を作る。その土地と建物を担保に、またお金を借りて、さらに次の店を作る。大事なことは、次の店舗を作る余力を残しておくことだった。(つづく)

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