■夢とロマンと希望を胸に■
●諦めずに必死でやれば、かならず光は射してくる (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏 1981年(昭和56年)、パチンコ産業の年間事業収入(貸し玉料の総額)は、推計で3兆円を突破した。ICを内臓したフィ−バ−機、羽根モノの登場が、かって幸福相互銀行から「天文学的数字」と皮肉られた莫大な借金を返す起爆剤になっていった。 マルハンの神髄は、けっして諦めないという精神にあるかもしれない。諦めずに必死でやれば、かならず光は射してくる。がんばれば、明るい未来が見えてくる。そう思って、社員一丸となって一生懸命に働いた。 ぼくが莫大な借金を返済していけたのは、パチンコ機の進歩だけではなかった。債権者がうちをあたたかく見守ってくれたからだ。日綿実業への返済も、月々25万円からできる範囲で段階的に支払う提案をのんでくれたからこそ返済を続けていけた。幸福相互銀行への返済も、約束通りに返していけた。ぼくは、必要なお金は半年前から資金繰りをして準備するということを前からやってきた。それだけに余分な金利がかかった。しかし反面で、保証人になってくれた人々に一切迷惑をかけなかった。 経理の藤原にいわせると、フィ−バ−機の登場が返済を諦めないマルハンに、「逆転満塁ホ−ムランをもたらした!」というのだ。 その藤原が、日綿実業と幸福相互銀行に残った最後の3億5千万円を一括で返済しょうと会社を訪ねたとき、日綿実業のある部長がしみじみとこう語ったそうだ。 「西原さんは、男惚れのする社長です。どんなに苦しいときでも、けっして逃げなかった。誠心誠意、日綿実業に尽くしてくれた。うちもおたくに迷惑をかけたはずだ。西原さんの返済の一件が済んだら、わたしはもう定年を過ぎているから、これでやっと安心して会社を辞められます。ありがとう!」 ぼくは、いろんな修羅場をくぐることでパチンコ経営が体のなかに染み込んでいた。だから、いつの間にか、何のメモを見ずに土地代にいくらかかって建物にいくら、設備にいくら、だいたい投下資本がこのくらいあれば、それに対して粗利がいくら出るという設備計画と収支計画がわかるようになっていた。 ある日、土地の件で不動産業者と電話でやりとりしていた。一度でも幹線道路を車で走ると、周辺の立地条件や土地の値段、設備計画、収支計画がパッと頭で描けるようになっていたので、ぼくが土地や事業について詳しく話すので、相手がびっくりするようなことがよくあった。借金で苦労した経験があまりに多かったので、半年先の資金繰りや利子までもよく見通せるようになっていた。 さらに新しい店がオ−プンした日に、店の雰囲気で将来的に経営がうまくいくかどんかも、直感的にわかるようになった。手前味噌であるけれども、これはぼくの才能の一つだが、たとえば、店内に蛍光灯が何本もついている。たくさん蛍光灯がある中で、電気屋さんが種類の違った蛍光灯を間違ってつけた場合でも、すぐに色の強弱を見分けることができた。これは店長でもわからない微妙な光度の違いだ。また、ちょっとした小さな電球が切れている場合も、すぐにわかる。トイレ、天井、床のちょっとした汚れ、ホコリ。ぼくには、店員も気がつかないような細かい点が瞬時に目に入ってくる能力があった。 (つづく) |