■愛と死をみつめて■

星々の中で 依田万実 画
星々の中で 依田万実 画

●愛と死をみつめて 大和書房創業者 大和 岩雄 氏 1928年生

学生服の若者がボストンバッグを手に訪ねてきたのは、1963年の夏のことだった。会社とはいえ、二間しかない自宅の1室に机を置いただけ。それも都心ではなく、西武新宿線の新井薬師前駅から歩いて20分の中野区松が丘。まわりは畑だった。

「読んでほしい」。中央大3年生の彼が示したのは、交際していた女性の日記だった。同志社大の学生だったが、軟骨肉腫という難病のため21歳で世を去った。彼女の人生を世に残すために出版できないかとの相談だった。

バッグにつまっていたのは、2人が交わした手紙400余通だった。事務所は夜になると机を片づけて布団を敷き5人家族の寝室になる。みなが寝た後、隣の茶の間にその手紙を広げて読み始めた。涙が止まらなかった。何の手も加えずに本にしょうと思い立った。

「愛と死をみつめて」はこうして誕生した。初版1万部。12月書店に並ぶとたちまちベストセラ−になった。

僕は無名の若者たちの生活の記録や主張を、21歳の時から読み続け、活字にしてきた。出版を志したが、学歴もなければ人脈もなく原稿料も払えない状態だった若い頃、それでもできることと考えたのが投稿雑誌だった。小さな商店や工場で働く若者、農家を継いだ青年らから、休みのない厳しい職場、古い体質の地域社会といった現実を前にした悩みや苦しみが寄せられた。社会が落ち着くにつれ雑誌は低調になったので単行本に狙いを移した。まず刊行した1冊は、若い女性の闘病日記だった。「愛と死を……」の2人は病床でその本を読んでいたのだ。

その後、これを超える部数の本は出せなかった。最近は出版不況だというけれど、出版が好況だなんて経験は一度もない。僕が知る限り、ずっとずっと不況だ。もうけたいなら別の業種に行けばいい。かといって文化事業だなんて格好をつけると会社をつぶす。読者が必要とするいい本を届ける出版商人を心がければ、生きていける。ネットの時代だといっても、本にしかできないことは、まだまだあるはずだ。

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