●執着するより心の自立●
●無欲にただその日を生きる 京都・慈受院住職 梶 妙壽 氏 70歳 20歳で結婚し、息子と娘が生まれ、舞踊家としても充実した毎日でした。けれども、夫の女性問題にずっと悩まされていました。40歳前後には私自身も、妻子ある人との恋に落ちました。 恋は生きるパワ−をくれますが、夫の心は家庭から離れ、家族は崩壊状態でした。二つの家庭を壊して幸せになれるだろうかと悩みました。恋人と生きていく道も考えましたが、2人いる子のことを思うとそれも出来ません。結局、夫とも恋人とも別れました。離婚をしたのは43歳のときです。その頃から、出家をしょうと思い始めました。 不安はありました。でも、決心は変わりませんでした。中途半端に木にしがみつくより、両手を離して、大地に倒れ込んでしまう方がいい。それが物質的な豊かさや男女の愛への執着を断ち切ること、新しい自分になるチャンスなのだ、と受け止めました。 仏門を選んだのは、知人にお坊さんがおられたことがきっかけです。山岳信仰に興味を持ったことで、和歌山の熊野へ行き、臨済宗の僧侶だった山本玄峰老師の石碑に出会いました。目が不自由になりながらも修行を重ね、人々の悩みに耳を傾けられた老師の生き方に打たれ、臨済宗で出家しょうと決めたのです。子ども2人が社会人になるのを待ち、49歳のとき得度、出家しました。 05年から京都刑務所、翌年からは和歌山刑務所で、篤志面接委員の奉仕活動をしています。月1回、受刑者の方たちに法話をするのです。「体は大丈夫ですか?」と笑顔で語りかけ、今を生き、自分自身を見つめることの大切さについて話します。依頼されて06年に、あるテレビに出ました。自分の半生を語ったところ、寺に悩み相談の電話が殺到しました。 夫婦関係の亀裂や子どもの家庭内暴力、借金、不倫………。子育てと老いた親の介護が終わって毎日がむなしい、との悩みもたくさん寄せられました。子どもが巣立って私のことを見向きもしない、夫が家庭に戻ってこない………。多くの方々はその現実を変えたいと願い、しかし、相手が思い通りにならないことに悩んでいました。 お話を聞く中で他者への執着を離れて“一人の時間”をしっかり持つこと、その大事さを思うようになりました。それは個に親しむこと、つまり一人の自分に親しむことです。相手に執着するのではなく心の自立を目指す。そこから、人を思いやり、愛する気持ちが生まれるのだと思います。 庭の草木や動物たちは多くを求めません。誰かに見せるためでも将来の自分のためにでもなく、無欲にただその日を生きる。私は自然から、そうした生き方の大事さを教わっています。 |